ぼくは勉強しない

午后から雨の予報だったから降り出す前にプールへ行った。あえてお休み明けにジムへ顔をだそう、と同じことを考える人は多いようで混んでいた。ほとんどの時間「歩く人のコース」を往復していたがぐったりとつかれた。何週間もさぼっていたから鈍っている。こんなことで荷物を持って飛行機に乗って外国まで行ったらくたくたになりそう。まあいいや。体を動かすというのはいいもので、その後で電車に揺られて橋を渡っていたら、ここのところ胸の奥にあったもどかしいような、自分を責めるような、憧れるような感情がなんなのかが分かってきた。それは、ぼくはもっと勉強ができるんじゃないか?という熱っぽい向上心である。(これがいけない)こいつは「何才になってもあってしかるべきものだ」という顔をしている。まず「何のためにアメリカに行くのか?」と思い出した。それは、友だちに会うため。語学を学びたいからじゃない。じゃ「なんで彼とは友だちになったのか?」それは、当時のぼくが目黒にある煙の染み込んだカウンター式の焼肉屋さんに毎日いたからで、あの頃ほど社会からつまはじきにされた気分で適当に暮らしていたことはない。なんにも考えてなかったから知り合ったのであって、言葉が上手かったからじゃない…。水の中を歩いたら、そんなすっきりしたロジックが湧いてきた。つるんと膜が張るように再生した。

小風景