どこまでも話反れつつ梨甘し
汀女
きのうの夜は(眠くて朦朧としていましたが)俳句よりも短歌の方が扱える世界が大きく、広いけど、どちらの詩型でも表せるような題材があり、重なっている風景があるのでは、という仮説をお話しました。たしかそうでした。そこで今夜は習作として、この俳句を短歌に作り替えてみよう。
以前に述べましたように、私の観察では、短歌には〈冗長性〉という性質があるから、五七五に折り畳まれている風景をどんどん開いていくようなイメージ。そこでまず「梨甘し」を見ると、これはいかにも俳句らしい切り詰めた言い方だから、展開することを考える。ふやせるってうれしいかも。
なんかね、俳句だと省いたり、消していくシチュエーションがほとんどだから、文字が足せるってだけでうれしいですね。ふくらませるところ。次に「話それつつ」ですが、ここは直感的に、いじらない。「話が反れていきながら、ひたすら梨がおいしい」という着想の起点だから、残しておこう。
あとは「どこまでも」を好きなように作っていけばいいかな。こういう時に色欲や死にまつわる言葉を入れるとそれっぽくなりそうだけど、この大暑にわざわざ重い印象を持ち込みたくないし、いつも軽いのが好きだから、今回はなにかあてておけばいいでしょう。ということで、試しに作ってみた。
間取りから化粧品までしゃくしゃくと話反れつつ梨食むところ
す