オムライス

給仕は「みなさんのご注文に合わせて一緒に食べ終えられるようお持ちします」といった。それからぼくのコースの前菜や〈モダンランチ〉の最初のミートクローケットなどが時間をかけて運ばれてきた。

ぼくたち四人はそれらを少しずつ分け合いながら食べた。お母さんは食欲がない、食欲がない、と言い添えながら一つ一つを口に運ぶのだった。魚料理の牡蠣フライも肉料理の鹿もみんなで分けた。

お世辞にもお行儀がいいとは言えないものだったと思うし、一皿食べてみないとなんとも評価のつかない料理だってある。けれども、この日のランチは四人で分けるのがとても自然に思えた。

なにしろ、これからは四人で生きていかなきゃいけないからだ。私と私の妻は勿論、お母さんとさっちゃんにもいい感じに生きていってほしいからだ。その点に於いてぼくにできることはしようと思っているし、できないことについては黙っているか笑って済まそうと思っている。

ぼくはパンにソースを塗りながらお母さんがいつ仕事のことを切り出すのか気遣っている。なかなか言い出しづらいものである。妻は認知療法の話をしたり、料理評論家の真似をして遊んでいる。

オムライスがようやく運ばれてきて、きれいな形をしていた。ソースは伝統のミートクロケットのものがかかっていた。カレーのようにいくつもの薬味が別の銀の器に盛られていた。お母さんは例によってスプーンで半分にし、残りはあなたたちで食べなさい、と差し出した。

デザートのプリンをたべ、紅茶を飲んで、することがなくなったときに電話がかかってきた。退席したお母さんを待ちながら、大きな木製のボウルに油を垂らしてサラダを作る隣の様子を眺めていた。

やがて彼女は戻ってくると神妙な風で、「じつはお仕事やめようと思うんだけど…」と口にし、「それで今、電話がかかってきて、次の会社が決まっちゃった!」と、みずから驚きながら報告した。

やった、やった。ぼくたちは資生堂パーラーで人目もはばからず拍手喝采し、お祝いした。みんなからの少しとオムライスを半分しか食べていないお母さんは、一安心して食欲がでてきたようだった。

小風景