引き続き、自分でもうるおいが足りないな、と思う。生活は満ち足りているけど、文章(とくにここの文章)にうるおいが足りないと自分で感じる。旅行にでも出掛けたらいいのかもしれないけど、今日はそうしないで地下鉄に乗っていた。銀座の店まで妻の靴を受け取りに行った。通りを歩いていて、なんだか安心したのは、どうやら切れがないのは自分の精神だけでなく、都会の気風も同じ様な気がしたからで、もしかしたらみんなそうなのかもしれない。モメンタム的なことなのかもしれない。帰りの車内で目についたのは、正面に座った老紳士、というほどでもない、擦り切れているけれどしぶとくしがみつく木の根っこはまだ残っている…みたいな男で、その人が、夕刊紙を小さく畳みながら器用に一隅、一隅を読んでいるのが印象に残った。その読み方は、ぼくは久しぶりに見た。四つに折っていて、折り目を変えたり裏っ返しにしながら場所を取らないようにして読んでいく。座席は空いていた。がらがらではないけど、肩をすぼめる必要はまったくないから、余計にその読み方が体に染み付いているのだろう、と思わせた。その感じが、なんかよかった。古典的な都会の風物、という感じがした。