久しぶりに歌舞伎を見に行きたいと奥様にいわれ、見つくろったのが歌舞伎座〈團菊祭〉の二階席である。八代目菊五郎襲名の口上が見られるなんて素直にうれしいから夜の部にした。
このたびの襲名のおもしろい所は、七代目もそのまま菊五郎を名乗って二人の菊五郎が並立することだ。ベンチャー企業でいえば、新社長が就任したのに現社長も会長にならず居座るという、いちばん面倒なことになるケースである。
この十五年くらい菊五郎劇団を見てきて、ぼくは七代目が好きだから、老いらくの執着みたいなものを感じたらいやだなあと思っていた。
けれども筋書のインタビューを読んだら「菊五郎には代々、次の名前はない」と書いてあり、足を悪くされた七代目が、新しい慣例を作ることなく元気な菊五郎を立てたいという思慮の末の襲名なのだろうと納得した。ここで俳名を名乗ったりしてはいけないのだろう。
いつもプロモカードとして扱われる團十郎も見られるとあって劇場は華やいでいた。というよりも、まずまず通い慣れている人たちが視線を注いでいるソリッドな客席という感じ。
十三代目の團十郎と八代目の菊五郎、自分と同世代の歌舞伎役者が團菊の当代になってしまったんだから、ぼくも年を取る訳だと思う。そりゃそうだ。ルカ・モドリッチだってすごい先輩みたいに思えるけど当然年下だ。フットボールと同じで、時と共に移ろう世代のドラマがここにもある。大きな流れに自分を重ねるのである。
襲名の口上は、裃の俳優が舞台上にずらりと並ぶんだけど、ざっくばらんにいえば、とある家族の近況を聞いているだけなのであって、なんでこれに観客がわくわくするのかと考えるとちょっとおかしい。だけど、自分も家族の一員みたいな気になってくるし、日本人という遥かな物語とたしかに繋がったような気がして、ハイになったりもするのだ。
それにしても、梅玉の話は長い。盆暮の集まりでひとり話の長い叔父さんのポジションである。あなたはラジオの名物パーソナリティなのか?(文化放送でいえば邦丸さん)と突っ込みたくなるような時間であった。
芝居について書いておきたいのは、松也の南郷力丸。かなりいい感じ。初役とのことですが、好ましいです。
吉右衛門の南郷、七代目の弁天小僧を旧歌舞伎座の幕見席から見た日がぼくの観劇の一つのピークを作っているんだけど(ちなみにそのとき、喉がかわいてなぜか隣の席のアウトローみたいな人のコーラを飲んでしまい舌打ちをされたんだけど)あのときの吉右衛門に松也が重なって胸をつかれた。それでいい、それでいいんだ、松也。
だが、夜の部を一通り見終わってみれば、なんだか軽い。
腹にずしりとこないのは、みんなが若いからだろう。
なにしろ当代の團菊は四十代なんだから。これから二十年は見てあげないといけない。芝翫、團十郎、勘三郎、吉右衛門。ぼくが見ただけでも、名優たちは死の間際まで舞台に立ち妖しい夢の気配を劇場に残していった。プレーヤーとして先は長い。
そこがフットボールとのちがいであり、歌舞伎俳優のキャリアは美しくも残酷なほど長い。けれども、チアゴ・モッタは監督として楽しませてくれたし、リオ・ファーディナンドのポッドキャストは毎回聴かせてもらっている。生きているかぎり舞台の上ってなもんである。
今シーズンも終わりだが、かの赤いクラブは来季こそ強くならないと、そろそろ興醒めである。意外にブルーノ・フェルナンデスを外せば上手く回りだすのかなあなんて思ったりするけど、ポルトガル人の監督にそれは難しいだろう。こちらは二十年も待ってられない事案である。