平凡な日曜

てきぱきと動いていたのに、この時間になってふりかえってみると書くことがないというか、わりと一つ一つのモーメントがお気に入りなのでもう少し抱えて鑑賞していたいというか、どうも毎日やっているとそんなことを感じる。だれにとっても自然なことととして「平凡な日」というのはない。当事者として動いているといろんなことが起きていて、そういう細部のトータルとして夜には区切りをつけなくてはいけないから「今日も無事だった」ということになるのですが、「あれってなんだったんだろう?」ということが澱のようにたまっていて、目の前のことに対処しているようで、じつはずっと心の中で観察しているのはその、ちょっと前の出来事だったりする。それを立ち止まってしげしげと眺めてみたい気持ちと、そうしている内に時間が経って物自体も自分もどんどん変化していくというのが、ようするに「平凡な日」の実情なんじゃないでしょうか。ぼくたちは無事な姿のまま、いつも流木のように流されている。七日に一度、日曜の夜という浅瀬に引っかかって束の間、休憩する。ピース。

小風景