かしこくなる

ここを書いていると少しずつ頭がかしこくなっている気がする。なんてことを言ったら、ちっとも賢そうに見えませんが、だいたい、文章というのはこんな小文でも何か考えないと書けないので、まあ一日に三〇分から一時間くらいはこうして紙を広げているような気分で、あれかしら、これかしら、と考えるわけであります。パズルを解いているようでもあり、気分を鎮める練習のようでもあり。また、生活していても何か材料はないだろうか、これはどうか、と観察していて、そりゃだれでも観察しているかもしれないが、おもしろいことに改めてそのことについて書いてみようとすると、そこで初めて分かってくることがある気がする。だから、見ている人はどうなのか分からないけど、ぼく自身はかしこくなっている気がする。曖昧だったものが具体的に体の一部になって、身体的にかしこくなっているような感じがする。または、そんな風にかしこくなる機会を日々作ろうと努めている、というべきか。もしみんなもかしこくなっているとしたら? その効果が学会にみとめられたらビジネスになるので、通信教育でも始めます。おたのしみに。

小風景