午前中から佐藤天彦と羽生善治の名人戦が際どい展開で、将棋って序盤戦からあんな知的なサーカスみたいなことできるんだ、と目が離せなかった。時折、名人のあたまを伏せて石になったような姿勢もすごかった。一種のボードゲームの神がかった試合を見ているだけで、今は心が澄んでくる。水曜日に家のベッドでゆっくり見られるというのは幸せだと思う。妻は、知人の会社に半日体験入社する予定で出掛けていった。家に一人でいる時間があまりないのでこれからこういう時間ができるのかな、とちょっと思った。夕方近くから東中野のゲストハウスで催される夕食会に向かった。気持ちのいい人の集まりで「淡い交わり」というんでしょうか。ぼくが若い人と集まるならこのくらいのあっさりした会がいいな、というものになっていて過ごし易かった。そういえば「淡交社」という茶道美術の出版社がありますね。家の本棚に何冊もあったな。すてきな言葉がお茶の世界にはありますね。淡いって、浅いのでもなく、薄いのでもなく、淡いっていうか。そういう感覚ってなかなか共有できないけど、今日はあったかな。期待や予感だけじゃなく、諦めとか、衰えみたいなものも、淡いという中にはあって。